飛鳥2日目、今日もいい天気。残りの遺跡を網羅すべく、自転車は快調に走ります。
⑧飛鳥-謎の石造物群
その3で触れた「酒船石」もそうなのですが、飛鳥には謎の石造物が多数点在しています。ここでは、それらをザッと紹介しましょう。
【石舞台古墳】
これぞ飛鳥のシンボル。聖徳太子と共に推古朝を支えた豪族、蘇我馬子の墓と伝えられています。
こんな大きなお墓なのですから、その権力の大きさが分かりますね。
中は広々としていて、隙間から漏れてくる光が綺麗でした。
【二面石】
橘寺の境内にある石像で南北に二つの顔を持っています。
「善悪二業一心所造」「生きている哲学の具象化」「心の持ち方を表した」などと意味深長なことがいわれますが・・・どうかな・・・?作り手はそんな難しくは考えていないように思いますが・・・。
【亀石】
かわいい顔をしています。確かに亀に似ている。
長さ4.3m、幅2.7m、高さ1.9m、堂々たる存在感があります。
【鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)】
鬼の雪隠の写真上方の竹林の中に鬼の俎があります。
むかし、この辺りには鬼が棲んでいて、旅人が通ると霧を降らせて捕まえ、石の俎で料理して食べ、雪隠(トイレ)で用をたしたのでした・・・・・。
実は、古墳にあった石槨(棺を入れる石造りの箱)が転がり落ちたものだそうで・・・墓の主には気の毒な気もしますね。
【猿石】
吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)の中に4体並んでいる猿石。
向かって右(北)から「女」「山王権現」「法師(僧)」「男」と呼ばれています。
江戸時代に近くの水田から掘り出されたもので、明治時代初期に吉備姫王墓内に移されたそうです。
吉備姫王は孝徳天皇、皇極(斉明)天皇の母。ということは天智天皇、天武天皇のおばあちゃんということになり、いま猿石がその墓を守っていると思うとなんだかおもしろい気がします。
【益田岩船】
猿石から近鉄の線路を西に抜けて北西に向かうと、益田岩船への登り口の案内板があります。山の急斜面を登り5分ほどで益田岩船に到着しまた。フー息が切れた。
東西に11m、南北に8mというとんでもなく大きな岩の上面には四角い穴が2つあります。何に使うものなのか確証がないそうです。
謎は謎のまま残しておきましょう。古代人の思いを想像することで、我々は当時にタイムトリップすることもできます。岩の上に横たわって星空を眺めたら、きっと何かが降りてくるだろうな~。
以上、謎の石造物をめぐる急ぎ足の旅でした。
⑨飛鳥-旅の終わりに
2日目は石造物の他にも、いくつかの遺跡を見ました。
印象的だったのは橘寺にあった栴檀(せんだん)の老木。
見上げた高い枝のかたちが青空にシルエットとなって、更紗の文様みたいでした。
いつかこんな柄の着物をつくってみたい。瞬時にそう発想しました。
枝の先は蕾を持っているらしく、あと少したつと可愛い花が咲くことでしょう。
栴檀(せんだん)は万葉集の中では楝(あふち)と名で登場します。
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
山上憶良 (巻5-798)
(妻が見たあふちの花が散ろうとしている。私の悲しみの涙はまだ乾かないのに。)
これは大伴旅人の妻が亡くなったとき、山上憶良がその心中を察して詠んだ挽歌です。
そして、天武・持統天皇陵
仲良く同じお墓に眠るのでした。
古代の歴史大河ドラマをつくるとすれば、二人は間違いなく主役となるでしょう。
北山に たなびく雲の 青雲の 星離(さか)り行き 月を離れて
持統天皇(巻2-161)
(北山にたなびく青雲が、星たちから離れて、月からも離れていってしまう・・・)
天武天皇が亡くなったのを悲しんで詠んだ持統天皇の挽歌です。
う~~すごい歌だ。
飛鳥紀行はこれでおしまい。
その4 ~奈良へ~につづく
- Newer: 飛鳥・奈良紀行-その5
- Older: 飛鳥・奈良紀行-その3
コメント:0
トラックバック:0
- このエントリーのトラックバックURL
- http://www.toriyorofu.jp/blog/daily_kotonoha/travel-to-asuka-and-nara04/trackback/
- Listed below are links to weblogs that reference
- 飛鳥・奈良紀行-その4 from とりよろふ よろずことのは













