* 飛鳥・奈良紀行 *
飛鳥・奈良紀行-おまけ
旅2日目(5月18日)、飛鳥から奈良に移動した日の夕方、かねてから見たいと思っていた「春日大社 神苑 萬葉植物園」に行ってきました。
ただ、入園したのが閉門(5:00)の1時間前だったため、ゆっくり見る余裕がなかったのが残念でした。
春日大社は藤原氏の氏神で、藤の花が社紋となっています。園内には「藤の園」があり、花の盛りは終わろうとしていましたが、遅咲きの白い花が杜若と見事に共演していました。
この植物園は昭和7年に開園した日本で一番古い萬葉植物園で、なんと300種類の植物が植栽されているというから驚きです。
万葉集には4500首のうち1500首に植物が読み込まれ、それらを分類すると150種類の植物になります。しかし、その150種にははっきり「この植物」と断定できずにいろいろな説があるため、該当植物は300種類になります。
この植物園に来れば、ほとんど全ての万葉植物を見ることができるというわけです。
小さな、白い、とっても可愛らしい花が咲いていました。
万葉集を愛する人なら、おそらく誰でも知っているであろう・・あの「むらさき」です。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
額田王(巻1-20)
むらさきは繁殖力の強い西洋種が日本に入ってきてしまい、純和生のものは大変貴重になっていると聞いたことがあります。
むらさきの根は紫染めの染料となりますが、西洋種と交配してしまうと紫に染まらなくなってしまうそうなのです。
むらさきを題材にしたきものは、もう随分前から構想ができているのですが、なかなか実現できずにいます。でも、必ずつくりますのでご期待ください。
この植物園で収穫だったのは「ひかげのかずら」です。
あしひきの 山かづらかげ ましばにも 得がたきかげを 置きや枯らさむ
作者不詳(巻14-3573)
(ひかげのかずら、しかも、めったに手に入らないものを自分のものとしないまま枯らしてしまうことなどするものか・・・)
「山かづらかげ」がひかげのかずらです。なかなか自分の妻にできない素敵な女性をひかげのかずらにたとえています。
「ひかげのかずら」は多年生常緑のシダ植物です。枯れてもしばらくは緑色を保っているため、生命力がある植物とされ、ほよ(ヤドリギ)、やなぎなどと共に、よく「かずら(頭に巻く飾り)」とされたようです。
山歩きをするときはいつもあたまの片隅に置いて探していた植物ですが、なかなかお目にかかることができずにいました。
春日大社 神苑 萬葉植物園
開園時間
3月~11月/9:00~16:30(17:00閉門)
12月~2月/9:00~16:00(16:30閉門)
拝観料
大人 /500円
小人 /250円
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飛鳥・奈良紀行-その7
⑫平城宮跡(後編)
体験楽習広場を出て、再び大極殿南門広場前を抜け、西へ。
西の外れには「平城宮跡資料館」があります。
ここでは、平城宮殿内の貴族の生活の様子が分かりやすく展示してあります。
なかなかおもしろかったので写真で紹介します。
居間には双六、囲碁盤、琴などがありました。
なかなか美味しそうで豪華な料理だと思いました。当時の貴族の贅沢ぶりがうかがえます。
部屋にはそれぞれじゅうたんが敷いてありました。そのためか今の日本人のライフスタイルに通じるモダンさを感じます。国際色が豊かだったんですね。
遺物展示コーナーでは発掘調査の出土品が展示されています。
いたずら描きのような絵がある土器や、あやつり人形、こま、さいころ、竹とんぼならぬ木とんぼなど。
天平人が急に身近に感じられます。親近感をおぼえるな~。
「まじない」や「呪い」などは政治的にも重要だったのでしょう。
今の時代よりもずっと、その意味は重かったのかもしれませんね。
出口付近にあるミュージアムショップは要チェックです。
私は「平城宮屋瓦拓影」という平城宮跡で出土した瓦の拓本(コピー)を買ってきました。
平城宮跡会場、最後に訪れたのは「平城京歴史館」です。
入口に遣唐使船が原寸大で復元され展示されている建物です。
ここでは、遣唐使というテーマを中心に、アジアと日本の歴史、平城京のくらしと文化などを映像で辿ることができます。有料(一般500円)ですが分かりやすくお勉強できるのでお勧めですよ。
ちなみに、通常、遣唐使船の模型には実際に乗ることができますが、私が見学した日はあいにく小雨まじりで、滑りやすく危険ということで乗れませんでした。
長らくお付き合いいただいた飛鳥・奈良紀行もこれで一応おしまいにします。
大和200%の楽しい旅でした。
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飛鳥・奈良紀行-その6
⑪平城宮跡(中編)
会場についてあまり下調べもないまま、行けば分かるだろう・・というのりで行ってしまった平城宮跡会場。まずは朱雀門から第一次大極殿へとまわりましたが、、さて次は?
会場はとにかく広くて、他の展示施設の会場は大極殿のある中央部をはさんで東西に分かれています。ルートはどうしても大極殿の前を2度通ることになってしまいます。歩く距離が長くなるわけです。まぁ、急ぐこともないのでのんびり行きましょう。まずは東へ。
東に向かい内裏跡前をぬけると宮内省跡があり、建物が復元されています。
建物内には机、椅子、棚なども展示してあり、こんなところで大伴家持も仕事をしていたのだろうか・・・と想像すると平城宮が身近に感じられます。
宮内省の北側には「遺構展示館」があります。発掘で見つかった遺構がそのまま残っていたりして興味深いのですが・・・なにぶん地味な展示なので写真を取り忘れました。
遺構展示館を出ると、すぐ南側に体験楽習広場があります。
有料ですが、ここでは「疑似発掘体験」、「平城宮仕事体験」、「天平衣装体験」、「体験工房」など、いろいろな体験を通して当時のことを楽しく学ぶことができます。
私は当時の貴族が着ていた服装に関心があったので「天平衣装体験」をしてきました。
どうかな~天平貴族に見えるかな~。家持みたいに歌でも一つ詠んでみましょうか。
平城宮跡会場見学は後編につづく
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飛鳥・奈良紀行-その5
旅3日目
⑩平城宮跡(前編)
朝から小雨が降るあいにくの天気になってしまいましたが、平城遷都1300年祭に沸く平城宮跡に行ってきました。まずは朱雀門から入場!
AM9:00のオープン時には朱雀門で「開門の儀」を見ることができます。
そして、第一次大極殿
歴史的なことを云々書きだすと大変なのでやめますが・・、気紛れな聖武天皇はこんな大きな都つくったのに短い期間に転々と遷都をくり返し、やっぱりここに戻ってきました。なので、初めの大極殿(第一次大極殿)と帰ってきてからの大極殿(第二次大極殿)は場所が少し違うのだそうです。
よく考えてみるとうなずけるのだけれど、都の部材は遷都の度に持ち運んで再利用していたんですね。平城京も藤原京から柱や瓦など、部材を運んでつくったそうです。こりゃ大変ですわ!
唐の長安をモデルにつくられた平城京。その中心である平城宮はとにかく大きい。だから、平城宮跡の会場を見て歩くのも大変です。天気がよければ自転車でまわることをお勧めします。
大極殿は天皇の即位式や外国使節団との面会、元日の朝賀など、国の最も重要な儀式が行われるところ。その時は天皇の玉座「高御座(たかみくら)」が置かれました。
初春の 初子の今日の 玉ばはき 手に取るからに ゆらく玉の緒
大伴家持 (巻20-4493)
孝謙天皇天平宝字二(758)年正月三日初子の日、宮中への参列者に玉箒(たまぼうき)が授けられ、そのとき大伴家持がつくった歌です。
玉箒はコウヤボウキという植物でつくったほうきで養蚕の象徴。初子の日飾られたそうで、正倉院の宝物に今も残っています。
ほうきのつかには紫色の染鹿皮を巻き、その上には金糸が巻かれ、枝には黄・緑・褐色の小さなガラス玉を挿し込んでいた・・というから、さぞ綺麗だったでしょうね。大極殿、高御座を見て、当時のことが偲ばれました。
とりよろふのきもの作品「玉箒」もご覧ください
のんびり歩きの平城宮跡会場見学は中編につづく・・・
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飛鳥・奈良紀行-その4
飛鳥2日目、今日もいい天気。残りの遺跡を網羅すべく、自転車は快調に走ります。
⑧飛鳥-謎の石造物群
その3で触れた「酒船石」もそうなのですが、飛鳥には謎の石造物が多数点在しています。ここでは、それらをザッと紹介しましょう。
【石舞台古墳】
これぞ飛鳥のシンボル。聖徳太子と共に推古朝を支えた豪族、蘇我馬子の墓と伝えられています。
こんな大きなお墓なのですから、その権力の大きさが分かりますね。
中は広々としていて、隙間から漏れてくる光が綺麗でした。
【二面石】
橘寺の境内にある石像で南北に二つの顔を持っています。
「善悪二業一心所造」「生きている哲学の具象化」「心の持ち方を表した」などと意味深長なことがいわれますが・・・どうかな・・・?作り手はそんな難しくは考えていないように思いますが・・・。
【亀石】
かわいい顔をしています。確かに亀に似ている。
長さ4.3m、幅2.7m、高さ1.9m、堂々たる存在感があります。
【鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)】
鬼の雪隠の写真上方の竹林の中に鬼の俎があります。
むかし、この辺りには鬼が棲んでいて、旅人が通ると霧を降らせて捕まえ、石の俎で料理して食べ、雪隠(トイレ)で用をたしたのでした・・・・・。
実は、古墳にあった石槨(棺を入れる石造りの箱)が転がり落ちたものだそうで・・・墓の主には気の毒な気もしますね。
【猿石】
吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)の中に4体並んでいる猿石。
向かって右(北)から「女」「山王権現」「法師(僧)」「男」と呼ばれています。
江戸時代に近くの水田から掘り出されたもので、明治時代初期に吉備姫王墓内に移されたそうです。
吉備姫王は孝徳天皇、皇極(斉明)天皇の母。ということは天智天皇、天武天皇のおばあちゃんということになり、いま猿石がその墓を守っていると思うとなんだかおもしろい気がします。
【益田岩船】
猿石から近鉄の線路を西に抜けて北西に向かうと、益田岩船への登り口の案内板があります。山の急斜面を登り5分ほどで益田岩船に到着しまた。フー息が切れた。
東西に11m、南北に8mというとんでもなく大きな岩の上面には四角い穴が2つあります。何に使うものなのか確証がないそうです。
謎は謎のまま残しておきましょう。古代人の思いを想像することで、我々は当時にタイムトリップすることもできます。岩の上に横たわって星空を眺めたら、きっと何かが降りてくるだろうな~。
以上、謎の石造物をめぐる急ぎ足の旅でした。
⑨飛鳥-旅の終わりに
2日目は石造物の他にも、いくつかの遺跡を見ました。
印象的だったのは橘寺にあった栴檀(せんだん)の老木。
見上げた高い枝のかたちが青空にシルエットとなって、更紗の文様みたいでした。
いつかこんな柄の着物をつくってみたい。瞬時にそう発想しました。
枝の先は蕾を持っているらしく、あと少したつと可愛い花が咲くことでしょう。
栴檀(せんだん)は万葉集の中では楝(あふち)と名で登場します。
妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
山上憶良 (巻5-798)
(妻が見たあふちの花が散ろうとしている。私の悲しみの涙はまだ乾かないのに。)
これは大伴旅人の妻が亡くなったとき、山上憶良がその心中を察して詠んだ挽歌です。
そして、天武・持統天皇陵
仲良く同じお墓に眠るのでした。
古代の歴史大河ドラマをつくるとすれば、二人は間違いなく主役となるでしょう。
北山に たなびく雲の 青雲の 星離(さか)り行き 月を離れて
持統天皇(巻2-161)
(北山にたなびく青雲が、星たちから離れて、月からも離れていってしまう・・・)
天武天皇が亡くなったのを悲しんで詠んだ持統天皇の挽歌です。
う~~すごい歌だ。
飛鳥紀行はこれでおしまい。
その4 ~奈良へ~につづく
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飛鳥・奈良紀行-その3
初日(17日)もだいぶお日様が西に移動して、そろそろ夕暮れを迎える時間となりました。自転車は藤原宮跡から急ぎ南へ・・・
⑤ふたたび飛鳥へ
甘樫丘(あまかしのおか)が見えてきました。今日中に更にいくつかの遺跡をみて、夕暮れはこの丘に登って明日香を見下ろしたい。旅初日のクライマックスです。
⑥飛鳥寺跡、そして遺跡めぐり
甘樫丘の東側、現在の安居院には日本最古の仏像、釈迦如来坐像(国重文)があり、飛鳥大仏と呼ばれて親しまれています。この地は飛鳥寺があったところです。げんげの花が綺麗でした。
飛鳥寺は蘇我馬子が創建した法興寺の後身で、塔を中心に3つの金堂が並ぶ、日本初の本格寺院でした。718年に平城京に移転し、元興寺として今も残ります。
釈迦如来坐像はおそらく聖徳太子も見たのでしょうね。
安居院のすぐ西に隣接して「蘇我入鹿の首塚」があります。
乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された入鹿の首が飛んで落ちた場所と伝えられます。かつて蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘を寂しく見ているようでした。
首塚を後にして万葉文化館まで戻り「酒船石」を見ました。
刻まれた幾何学的な模様は何を意味するのでしょうか?
さらに、飛鳥板蓋宮跡伝承地へ。
ここは首塚のところで触れた、乙巳の変の舞台となった場所。
大化改新、古代の大クーデターの起こったところです。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足によって時代は大きく変わりました。
中大兄皇子にまつわる遺跡をもう一つ。飛鳥水落遺跡です。
ここは、660年、中大兄皇子が日本で初めて水時計をつくって人々に時刻を知らせた建物があったところです。
⑦甘樫丘へ
さて、ちょうどいい具合に日が傾いてきました。
一日目の最後は甘樫丘から夕暮れの飛鳥を眺めることとしましょう。
飛鳥水落遺跡からほど近い場所に甘樫丘展望台に登る山道があります。展望台からの眺めは素晴らしく、飛鳥や大和三山を一望することができます。
644年11月、権力を強める蘇我蝦夷・入鹿親子は甘樫丘に柵をめぐらし防御をかためた邸宅を築いて「上の宮門」「谷の宮門」と称しました。このようなことが、のちの大化改新に繋がるプロローグとなったのでしょう。
夕陽が畝傍山、そして遠く二上山のうえに落ちようとしています。
うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む
大伯皇女(巻2-165)
(この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見ることでしょう)
大津皇子が非業の最期を遂げたときに大伯皇女が詠んだ歌です。天武天皇の第3皇子である大津皇子は謀反の疑いで処刑されました。二人は血を分けた姉弟です。
二上山には大津皇子のお墓があります。
この地からは歴史の重たさが伝わってきます。
以上、初日の旅行記はおしまい
その4 ~2日目 飛鳥の遺跡めぐり~につづく
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飛鳥・奈良紀行-その2
③飛鳥資料館~天の香具山
飛鳥資料館を出て、私は大きく北に向かうことにしました。
この旅の大きな目的の一つ、「天の香具山」にまずは登り立つためです。
資料館を西に向かい、雷の信号を北に向かうとそこは飛鳥の古京から藤原京の世界へと移り変わります。そして、その信号の近くに雷丘がありました。
柿本人麻呂 天皇、雷丘に出でますときの歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも(巻3-235)
の舞台です。もっと大きな丘を想像していたので、ちょっと拍子抜けしました。
さて、雷丘を北に向かうと、いよいよ天の香具山が見えてきます。
標高152mで、大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)の中でも最も神聖とされる天の香具山は、山というよりは丘という趣でした。
天岩戸神社から登山入口に行くと・・・ありました、ありました。舒明天皇国見の歌の歌碑です。
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つうまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国 (巻1-2)
(大和にはたくさんの山があるが、とりわけ立派に整っていている天の香具山に登って国を見渡せば、国原からはあちらこちらから煙が立ち上がり、海原からは鴎が飛び立っている。本当に良い国だ、秋津島の大和の国は)
「とりよろふ」というアトリエ名はこの歌から生まれました。ここが自分の出発点であり、聖地ということになります。
152mとはいえ、登ってみると少し息が切れました。山頂は緑に覆われた静かなところです。
1370年ほど前、舒明天皇がここから国見をしたときは、もっと見晴らしが良かったのだろうか? 「とりよろふ天の香具山」は今と変わらない姿であったろうか? ベンチに座り、感慨にふけりながら、しばし心地よい万葉の光と風を楽しみました。
トカゲが一匹目の前に現れて、しばらくこちらの様子をうかがっていましたが・・・あれは何かの化身だったのかしらん。精霊たちが集まる山です。自然にそんなことを考えてしまうのですから不思議です。
香具山神社へ降りる道は思ったより急で、杜の奥深さを感じました。
④天の香具山~藤原京
香具山を降りて西へ向かうと開けた地が広がります。藤原宮跡です。
694年、天武天皇の意志を継いだ持統天皇が遷都した本格的な都城で、唐の長安を模してつくられました。
まだ発掘調査の行われているところもありました。
そして、天の香具山
持統天皇の名歌を思い出します。
春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 (巻1-28)
女帝の片腕、太政大臣、壬申の乱の功労者である高市皇子が薨去し、長い殯(もがり)が終わった初夏の日に、舎人たちは白い麻の衣を乾しました。高市皇子の邸宅は香具山の麓にあったのです。
叙景歌として親しまれるこの歌の陰には持統天皇の深い悲しみが隠されています。
大極殿跡の南東に高所池という灌漑用の池があります。ここから望む天の香具山は舒明天皇の国見の歌が偲ばれていい感じです。
「天から降ってきた山」という伝承の残る天の香具山。
ここがなぜ特別な聖地であり続けたのか?
さして高くないという事実が、そこにはきっと「何か」が「ある」ということの証拠であるように思われてなりません。
その3 ~ふたたび飛鳥へ~ につづく
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飛鳥・奈良紀行-その1
奈良県立万葉文化館での打ち合わせを兼ねて、万葉のふるさとである飛鳥を、そして平城遷都1300年祭に沸く平城宮跡会場をあちこち巡ってきました。初めて訪れる飛鳥の地は、とりよろふにとっての出発点です。そしてそこは深い深い歴史とロマンが横たわっているのを肌で感じられる聖地でした。できるだけ多くの遺跡を巡りたいのでレンタサイクルを使うことにしましたが、天気にも恵まれ、最高の旅となりました。
これから少しずつこの旅の報告をしたいと思いますので、どうぞしばらくお付き合いください。
①石川池~万葉文化館
まず降り立ったのは橿原神宮前駅。万葉文化館に向かって東へ向かうと、間もなく石川池があります。
古くは「剣池」と呼ばれていて、池の東側に孝元天皇陵があります。歩いて登ることができます。
孝元天皇は『古事記』『日本書紀』に第8代の天皇と記さていて、在位が紀元前214年ごろといいますが・・・ほんとですか!?
石川池から少し南に向かうと、そこは柿本人麻呂が妻を亡くしたときに詠んだ長歌「天飛ぶや 軽の道は 我妹子が・・・(巻2-207)」の舞台となった軽の市があったあたりです。
石川池をあとにして万葉の花ごろも展の会場となる「万葉文化館」に到着。
この立派な建築物の下にも歴史のロマンが眠っています。
金・銀・ガラスなどを加工する工房や銅や鉄を鋳造する工房の跡(飛鳥池工房遺跡)が発見されたのです。まだ加工途中の富本銭も見つかり、それまで最も古いとされてきた和同開珎より20年も前に、この地で貨幣が造られていたことが分かりました。
②万葉文化館~飛鳥資料館
万葉文化館での打ち合わせも終了し、キトラ古墳壁画「四神降臨」特別公開を見るため北進して飛鳥資料館へ。
玄武、青竜、白虎、朱雀の実物を見ることができました。
筆跡からそれを描いた人の様子が感じられ、とても1300年以上の年月が経っているとは思えません。鮮やかな色彩は当時の文化の華やかさが伝わってきます。
石室の天井には「天文図」が描かれていますが、残念ながらこちらは公開されていませんでした。楽しみにしていたので残念です。
その2 ~雷丘から天の香具山へ~につづく
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